【社協だよりいずもvol.140 令和4年6月20日発行号掲載 】
外国にルーツを持つ10代の子どもたちのコミュニティ「MANABIYA」主宰者。
現在、トリニティカレッジ出雲医療福祉専門学校の外国人留学生のクラスを担任。(令和4年6月現在)
海外での日本語教育
大学在学中、日本語教育を学びながら難民支援サークルに所属し、難民に向けた日本語教室で活動した河原さん。卒業後は障がい者福祉の職を経て、ブラジルへ渡られたそう。「海外で日本語教育に携わりたくて求職していました。その中で、ブラジルで働く島根県出身の先生に惹かれて、ここだ!と飛び込みました。
右も左も分からない土地で辞書を片手に町を歩いて言葉を吸収して…現地の方はとてもおおらかで、言葉の分からない私に教えてくれることもあってありがたかったですね」と笑顔で話します。その後、ブラジルで日本語教師として奮闘され、地元出雲へ。小学校や中学校で日本語指導に携わりました。
大切なことは人とのつながり
日本語指導をする中で、来日後、行き場を失った10代の子どもたちと出会った河原さん。この出会いが「MANABIYA」の立ち上げにつながりました。「義務教育を終えて来日した子は社会の網にかかりにくいんです。行政や様々な機関に相談した結果、行き場所がない。そんな15歳以上の子たちのための居場所を作りたいと思いました」と話します。
「日本語教育はあくまで支援の入口です。子どもたちにとって大切なのは、人とのつながりや社会に出るための力を身に付けること。それは家庭だけでは不十分で、友達や家族以外との関わりが健全な育成に不可欠です。」と話します。
活動をしていて難しいと感じることについて、「本人と親の考えが違うこと。親が“あとお願いね”とこちらに丸投げするケースや、本人が高校へ行きたくても援助を受けられないケースも多いです。学費を自分で払ったり、日本語ができる子は親の通訳として付き添わなくてはならない現実もあります。」
また、「母語が固まっていない子ほど支援が難しいですね。母語で意思や感情を伝えられるレベルであれば、日本語への変換作業で済みますが、幼いうちに来日した子は小学校中学年の学びから一気に増える抽象表現で差が出てしまいます。分からないことが表出できずにおとなしくなる子が多く、一見“いい子”ですが、将来的に自分の意思や感情が伝えられず爆発し、生きづらさを抱える可能性も。感情表現ができないと人間関係の形成が難しくなってしまうんです。」と話します。
人のために動く瞬間に輝く
現在、MANABIYAに来る子は5,6人で、元々来ていた子の紹介や横のつながりで顔を出してくれるようになったそうです。「この子たちや協力者が情報源になってくれて、困っている子をキャッチできるんです。陰の気になる子リストのようなものがあって、私たちの真のターゲットと言えます。一緒にその子を訪問する「アウトリーチ」をして顔つなぎをしてもらっています。」
その後、河原さんから連絡を取っても返事が来ることは稀だそうです。しかし、あえて開催日をお知らせするチラシは作らず、一人ずつに日程を伝え、連絡を取るきっかけにしています。「地道ですが、“いつでも来れる場所だよ”というメッセージを届けたいんです。
半年間全く返事がなかった子から“行ってみようかな”の一言が聞けた時はとてもうれしくて。この、子どもの一歩が動いた瞬間が私達の喜びです。」本人は気付いていない、この大きな変化を「変わったね!」と伝えることが自信につながり、言葉にすることの大切さを実感していると河原さんは語ります。
また、地域のボランティア活動にも子どもたちと参加し、「人のために動こうとしている瞬間は本当に輝いています。自分にできることが見つかると、それが生きがいになるんです。誰かのために何かする姿を見ると安心しますね。」と笑顔。
日頃のMANABIYAの活動でも、そのような姿が垣間見えることがあり、日本語が達者な子と運転免許を持っている子が自分の得意分野をお互いに教え合っているそう。「活動当初は、“助ける側”と“助けられる側”の関係性だったのが、今は“みんなができることをする場”に変わってきました。子どもたちの心の変化がそうさせたんだと感じています。」と話します。
共に考え、寄り添う
「初めにお話したように、義務教育終わりに来日する子は居場所を失ってしまうことが多い現状があります。子どもたちの話に耳を傾け、高校やブラジル学校進学、就職…等あらゆる選択肢や可能性を示し、自分で道を決められることが大切です。しかし、今の社会には、この一連の支援をする機関がありません。情報が得られたとしても、“本人が選べる社会”とは言えません。例えば、日本で育ち、言語等の能力が高いにも関わらず、高校から紹介された就職先は外国籍向けの派遣会社のみで低賃金といったケースがありました。このような無意識的な排除はどこにでも起こりうる現状があります。本来、外国にルーツを持ち、複数の言語が話せる子は選択肢が幅広いはずです。選べることは誰もが持つ権利。ぜひ日本で自己実現してほしいです」と子どもたちの将来を見つめます。
「私たちは“こうすればいい”は絶対に言いません。正しい道を決めつけず、本人が決めていく人生を尊重したいんです。これからも子どもたちにとって“一緒に考えていく相手”として寄り添っていきたいですね。」
外国にルーツを持つ子どもたちが直面する課題に厳しい目を持ちながら、子どもたちが自分の力で切り開いていく未来を願う河原さん。今後も、いつでも寄れる居場所として活動を続けます。